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2008年2月13日 オープン
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今から二十年前、明石海峡大橋が掛かる前、淡路島洲本のサントピアマリーナのヨットハーバーの中にある吹き抜けがある南欧風のロイヤルグレースホテルというリゾートホテルに行った時の話です。先輩の人がそこで働いていて、夏に遊びに行きました。

僕はレイダックというブリジストンの自転車で家から神戸港まで行きそこから船で岩屋という淡路島の先端からど真ん中の洲本まで海岸線を夜に自転車で走ったのを鮮明に覚えています。
月がとても綺麗で、ウォークマンでダリルホール&ジョンオーツを聴きながら、目的のグレースホテルまで行きました。
早速友達の先輩に連れられて、ホテルのバーに行きました。

そこには、自分より年上そうな女性が一人カウンターの中におられました。僕はジントニックを頼みました。
彼女と話をしていると海外生活が長く、語学が堪能で、ホテルにも外人さんが働いているので納得しました。
会話が進むにつれ、僕は彼女にデートの申込みをしました。
彼女も僕の頭が天才バカボンの頭に似ているので面白い人のように言ってくれました。

クールそうな彼女は考えて、マイケルジャクソンのコンサートが見に行きたいと言い出しました。
僕は名前は知っているが、あまり関心はありませんでした。秋に大阪に来るマイケルジャクソンが全盛期であったのは全然知りませんでした。
数日後チケットをゲットしたのですが、彼女が突然コンサートには行けないと言い出しました。
しょうがないので、知り合いの女の子に売りました。コンサートに行った女の子達は近くでマイケルを見たのでとても興奮気味に話していました。

僕はそれから日を改め彼女とコーラスラインと言うダンスを見に行きました。デートはあまり盛り上がらなかったです。
エスコートが上手でないシャイな僕は、経験不足なのを痛感しました。
デートの最後に彼女はレコード店に行き僕にディオンヌ・ワーウィックのフレンズ~愛のハーモ二ーのCDをプレゼントしてくれました。それから彼女は船に乗って淡路島に帰っていきました。

彼女はそれからオーストラリアに行くといっていました。それ以来彼女とは終わりでした。僕の夏の青春の思い出のひと時の一ページでした。

それから二十年後、マイケルジャクソンは五十歳の若さでこの世を去ったのです。原因は分かりません。
マイケルのコンサートに行けなかったのは縁がなかったなーと思いました。
正直行きたかったなと思います。

キングオブホップのマイケルジャクソンの魅力を亡くなってから気付いたのは追悼式のビデオを見てからでした。

ふと頭をよぎったのは、彼女がマイケルジャクソンを観に行きたいの一言です。

彼女はマイケルのコンサートを誰かと観に行ったんだと、確信しました。あれだけ素晴らしいダンスをするマイケルに、彼女は行かない訳はない、僕は今頃になって振られたと分かりました。鈍感でした。
それはそれで終わった話でした。

僕はキングオブロックのエルビスプレスリーも好きですが、キングオブポップのマイケルジャクソンも好きになりました。

最後にもう会えない、マイケルジャクソンさようなら。
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